本シリーズでは、
「なぜ医師が“体操を処方する”という考えに至ったのか」
その原点から現在に至るまでの歩みを、実体験をもとに綴っています。
医学・臨床・人生経験を通して見えてきた
「本当に人を支える医療とは何か」
「体と心、そして生き方をどう整えていくのか」
その背景と想いを、連続記事としてお届けしています。
「やえこふ」と呼ばれるようになった日——アメリカで出会った憧れのスポーツドクターとの出会い
◆アメリカでの出会いが人生を変える
2016年まで、私は「ちゃんと」「普通に」「一般的に」生きるという、いわば“ちゃんと家系”に刷り込まれたレールの上を歩んでいました。
白い巨塔で働き、専門医資格を取り、医学博士となり…上司に媚びを売って昇進を目指す、そんなタイプの医師としての“王道”を。
そしていずれは家業を継ぎ、医療法人の代表としてやっていくものだと——そう信じて疑っていませんでした。
しかし、2016年7月。私はメスを置き、たった一人でカリフォルニアの地に立っていました。
日本人として初めて、スタンフォード大学スポーツ医学の診療所で、研究員として受け入れられることになっていたのです。8月からのスタートを前に、不安と期待が入り混じる中での新たな挑戦でした。
◆憧れのスポーツドクターとの出会い
人との“ご縁”を強く意識するようになったのは、この頃からです。
それまでは、自分の利益のために必要な人とだけ関係を築くような、ある意味「打算的な人間関係」だったように思います。
日本でも、海外でも、そうした人間関係は少なからずあるでしょう。
つまり、どこの国に住めば“競争社会”から外れられる、という話ではないのです。
どこにいても、その社会とどう関わるか——それを自分で選べるかどうかが鍵なのだと、のちに気づくことになります。
そんな中、スタンフォード大学での日々は、熾烈な競争社会とは真逆の、“スライバー(Thriver)たち”の聖地でもありました。
このことについては、書籍で詳しくご紹介しています。
◆“やえこふ”という名前のルーツ
“スポーツ医学のディズニーランド”のようなスタンフォードの診療部で業務をこなしていたある日のこと。
私は、論文上で長年憧れていたある先生に出会いました。教授が紹介してくれたのです。
その先生はロシア出身で、カリフォルニアに個人診療所とは思えないほどの規模と素晴らしさを誇るスポーツセンターを開設されている方でした。
その瞬間、まるで「キムタクに会った」ような衝撃でした(笑)。
立ち振る舞い、患者さんやスタッフへの接し方、食事の場でも裏表のない姿——すべてが魅力的で、「この先生みたいになりたい」と心から思いました。
◆ニックネームに込められた想い
当時職場から与えられていたメールアドレスには、ファーストネームとラストネームを区切る記号などが入っていませんでした。
つまり、名前と苗字がローマ字で連続して表記されていたのです。
日本人なら、どこで区切るかすぐにわかるのですが……その先生は、なんと予想外の位置で区切ったのです。
そう、そこで生まれたのが「ヤエコフ」。
父の背中をなぞっていた「オモシロ先生」から卒業し、本当の意味で“自分自身”として世界に羽ばたく一歩を踏み出したのです。
ファーストネームの「yaeko」と、苗字の一部「fu」が繋がって、“yaekofu(やえこふ)”という読みになったのです。
世界に70億人いても、この区切り方に気づくのは1億人ほどの日本人くらいなのでしょう。
◆スライバーとして生きる覚悟
私は、この偶然のニックネームをとても気に入りました。
「固定概念や先入観にとらわれないスライバーでありたい」
「ko / fu で区切る=正解みたいな思い込みに囚われない」
「この先生のように、人として誠実に在りたい」
そんな想いを込めて、私はこの「やえこふ」という名を大切に名乗るようになりました。
今では、会社名や診療所名にも使い、すっかり私のアイデンティティの一部になっています。
日本では「○○先生」「○○さん」といった呼び方が当たり前ですが、「やえこふ」は、あだ名のように呼び捨てで呼んでもらえるのが、個人的にもすごく気に入っています。
——呼び捨て希望です。
◆次回予告:スラトレ®誕生のきっかけとは?
次回は、「スラトレ®」という新しい成長の形が、どのようにして生まれたのか。
スタンフォードでの経験や“やえこふ”としての原点が、どのように繋がっていったのかをお話しします。
.jpg)