『整形外科医がメスを置いて体操を処方するまで』:始まりの物語


始まりの物語 − 前書き

整形外科医の父の変顔と“やえこ食堂”の始まり

「インドでは、お腹が痛いと医師を訪ねると、ヨガのポーズを処方されるらしい。」

「ヨーロッパでは、頭痛の患者にハーブティーを処方するとか。」

当時としては非常に珍しく、ヨーロッパやアメリカへ複数回の留学経験を持つ父が語る異国の医療話は、いつもユーモアにあふれていました。

そんな話をしながら、唐突にインド人のような奇妙なポーズをとってみせたり、貴婦人のようにすました表情でハーブティーをすする演技をしたり——。ユーモアたっぷりのパフォーマンスで伝える世界の「おもしろ医学」にすっかり魅了されました。医師でありながらユーモアの塊のような父を周囲は“オモシロ先生”と呼んでいました。

私は、机の上に全身を乗り出し、目を丸くして夢中で耳を傾けていたものです。あれは、小学校低学年の頃だったでしょう。体が弱かった私に映る父の姿は、地元の大病院で院長を務める恐れ多い外科医先生ではなく、なにわの人情溢れる”元祖”オモシロ先生でした。

「じゃあ、日本では……“おにぎりと味噌汁” か!!」

当時の私が始めたのが、“やえこ食堂”という名の小さな遊びでした。週末限定で、家族や親しい知人に、幼い手で丁寧に出汁をとった味噌汁とおにぎりの朝ご飯をふるまう——。子どもらしい風景ではありますが、当時の私は真剣そのもの。海外のユニークな医療への憧れと、父の温かなユーモアが重なった、小さな原体験でした。

現在の私 〜家庭に育まれた医師への道〜

いまの私は、食堂を営むのではなく、医師をしています。

少し回りくどく聞こえるかもしれませんが、「食医」でもなく普通の「お医者さん」でもなく、体操を処方する「運動医」としての道に至るまでの物語を語るには、私が育った家庭の背景からお話しする必要があります。

私の父は、軍医だった祖父が創設した総合病院の二代目院長でした。家系には大学教授や大手企業の役員ばかりで、かつて放送されていた木村拓哉さん主演のドラマ『華麗なる一族』になぞらえて、周囲からそう呼ばれることもありました(私はそのドラマを見ていないのですが……)。

祖父の教育方針は非常に厳格でした。毎年、学期末になると子どもたちとその親を含む親族全員が祖父の自宅に集められ、木刀を携えた祖父の部屋に、年長者から順に呼び出されるのです。私は最年少だったため、最後の順番まで、祖母の背中に隠れたり、大きな音のあとに泣きながら出てくる従兄姉たちの姿を見たりしていました。まさに「軍隊式教育」の最後の受け手が、私だったのかもしれません。

そんな厳格な医療家系に育った私にとって、「医療の道以外に進む」ことは、ある意味“許されない選択”でした。

だからこそ、いま私が“体操を処方する医師”として、医療の枠を超えた活動を続けていることには、それだけの覚悟と信念があるのです。

「軍隊式教育」の一方、私の学業成績は飛び抜けて優秀になったわけではありませんでした。勉強よりも身体を動かすことの方が好きで、特に何か学業に秀でていたわけでもありません。古き昭和の良き時代の、一般的な子ども時代を過ごしていたと思います。

バスケットボールを抱え上下ジャージ姿で通学する医学部時代には、「医学部しかない単科大学なのに、体育学部があるのか?」と冗談を言われるほど、スポーツに熱中していたことを思い出します。

私の現在地 〜離島のクリニックから〜

そんな私が、「ムリだろう」という声が毎年のように浮かぶ中で、医学部に進学し、卒業を果たし、ついには医師となりました。
学生時代にあまり勉強しなかった反動かもしれませんが、医師になってからの方が、むしろよく勉強しています。
興味のある分野に限られますが、それでも専門医資格を取得し、医学博士号もいただきました。そして海外へ医学研究の武者修行にも赴きました。

そして2020年以降、パンデミックという社会の転換期を経て、メンタル思考トレーニング事業を手がける会社を立ち上げました。現在はその経営のため、経営学も学んでいます。

現在の私は、家業の医療法人がある都会から遠く離れ、日本国内の保険診療からも距離を置き、離島の丘の上で自然に囲まれた暮らしをしています。

目の前には青い海が広がり、木々が生い茂る緑からこぼれる白い朝日を浴び、鳥たちの黄色い声援を受けています。ここで私は「体操を処方するクリニック」を設立しました。

このクリニックでは、保険証も薬の処方も、カルテさえも存在しません。日本の医療制度の枠外にある小さな診療所です。かつて読み漁った治療学や手術書は今や埃をかぶり、いまの本棚には、筋肉や骨が透けて見えるような、海外らしい運動学の専門書ばかりが並んでいます。スポーツ医学の本場はやはり西洋になりますので、どうしても英語には立ち向かわねばなりません。

これから綴ること

本書では(今後出版予定の『整形外科医がメスを置いて体操を処方するまで』にて)、私がこの道に至った経緯に加え、「体操を処方する」という新しいようで古い医学の形、そして世界と日本の医療のあり方を比較しながら、私なりの視点をお伝えしていきます。
3代目として家業は継ぎませんでしたが、“オモシロ先生”の魂は、確かに私の中に息づいています。
  • 本当に整形外科を受診すればその不調は治る?
  • 注射は一時的?根本的?
  • 本当に手術は必要だった?
  • 30を超えてやっとわかる健康の大切さ。
  • 運動神経って生まれつきだから変えようがないですよね?
  • 勉強ができるできないも遺伝ですよね?
  • エステとかサプリなしに健康できれいになりたい。

普段いただく様々なご質問に対し、2代目オモシロ先生としての、一つの答えを本書に込めました。


著者プロフィール

福島 八枝子(ふくしま やえこ)

  • 医学博士(健康科学・スポーツ)

  • 日本整形外科学会認定専門医

  • 同・運動器リハビリテーション医

  • 同・スポーツ専門医

  • 日本医師会認定産業医

  • 臨床研修指導医

  • キネシオテーピング協会認定療法士(CKTP)

主な経歴:

  • 2016〜2019年:米国スタンフォード大学病院 PM&Rスポーツ医学診療部 研究医

  • 2019〜2020年:米国ピッツバーグ大学 PM&R研究医(Kinesio Taping Association International公式スポンサー)

  • 2020年〜:株式会社ヤエコフ 代表取締役

  • 2023年〜:やえこふクリニック 院長

メディア掲載歴(主要)

  • 2013年:日本経済新聞 医療特集「サルコペニア知って備える」
     → 大学院初年度に開設した「整形外科専門医によるサルコペニア外来」が取材され、2015年10月20日付:日本経済新聞 医療面に、筋肉と健康に関する活動が紹介される。

  • 2016年5月13日付:医療情報専門サイト CareNet 医療ニュース
     → 骨格筋が分泌するマイオカイン(myokine)によるインスリン抵抗性改善の研究成果が特集。

  • 2019年5月16日付:メディゲート 医師ペディア
     → スタンフォード大学での採用経緯とアメリカでの臨床研究活動を特集。

  • 2019年10月17日付:神戸新聞「神戸マラソン1ヶ月前特集」
     → ランナー障害への予防と対策を解説、インタビュー掲載。

  • 2019年11月24日付:朝日新聞 あさすぽスポーツ面
     → 学生バスケ選手への足関節超音波検診の地域活動が特集される。

  • 2020年1月4日放映:BS放送「キラボシ」新春特大号
     → スポーツリハビリ外来での治療風景と選手支援の様子を特集。

  • 2021年10月11日付:『ORTHO PEDI No.30』(中外製薬/羊土社)
     → 留学特集「Go Study Abroad! 留学へ行こう!」に寄稿。


次回予告

次回は、アメリカで出会った憧れのスポーツドクターとの出会い、そして“やえこふ”という不思議な呼び名の由来についてお話しします。
「オモシロ先生」と呼ばれた私が、世界のスポーツ医学に触れ、名乗るようになった“やえこふ”とは——?


Dr.EKO博士

医師・医学博士/産業医・PM&R研究医

整形外科専門医。スタンフォード大学研究医としてPM&R分野を研究後、現在は〈スラトレ®〉を中心に、ウェルネスと自己変容を支援するトレーニングおよびコンサルティングを提供中。上質な暮らしを望む方に向けた「YAEKOFU」では、人生を再設計する深い対話と伴走を行う。

▶︎ 株式会社ヤエコフやえこふクリニック